番外編として チビ太 が学校を卒業してから20年以上

自由人として生きてきた流れを書けるトコだけ書いてみる。

文章にするのは初めてだし備忘録も兼ねて書くから eBay とは関係ない記事になるよ。

つまらない文章になるからeBayを勉強したい人はページを閉じてね。

初めての就職

 

チビ太の中学時代は校内暴力が社会現象になってた年代の

5年くらい後、バブル真っ盛りで マンガ では

シャコタンブギ と ビーバップハイスクール が流行っていたころの時代

チビ太の2コ上の先輩は

 丁寧に御下品にカスタマイズした  人様から拝借した高級バイク

で中学校の廊下を走り回ってた 

 

そんな時代。

因みにチビ太の好きなおニャン子は 「会員番号 36番  渡辺満里奈」 でした。

どうでも良いよね ゴメン!

チビ太は 中学当時から頭の出来が悪かったから

一応学区内なんだけど実家からメチャクチャ遠い

海の近くのアホな公立高校に通う事になったんだ。

女の子が多いというのも 重要なファクター ではあったんだけど、、

科によって 6:4 から 8:2 で 女子が多い学校だったのさ。

高校では 女の子のケツばっかり 追いかけてた。

因みに その高校は変な校則があってさ。

田舎だから 周囲にスイカ畑とメロン畑があるんだよ

スイカ盗むと停学で、メロン盗むと退学っていう 都市伝説みたいな

校則があったと記憶してる。

停学が重なり(スイカ泥棒ではない!)

めんどくさくなって辞めてったヤツは多かったんだけど

チビ太は バイクの免許取ったのを誰かにチンコロされて停学になったくらいで

なんとか卒業できたんだ。

ツレは学校内の自転車置き場から

持ち主の女子生徒が見てる前で大きな石で チャリ鍵 ぶっ壊して

チャリを盗むという  暴挙を 何度も  やって停学になってた。

今考えると ヒドイ事 してたな ツレは (;´Д`)

チビ太はさすがに、そこまで出来ないから 駅で知らない人のチャリを

日替わりでお借りする程度だった。

ワンタッチ傘壊して、ボタンのパーツだけを取り出せば

そのパーツで ほとんどのチャリ鍵 を開けられるんだ。

そのパーツを鍵穴から外せば また鍵をかけれるから

チャリは無傷で色々な場所に( 悪友宅がある各駅、スーパー )等に

止めて置くことが出来たんだ。

今でいう 乗り捨て可能なシェアカーみたいなのと一緒だよね。

当時の同世代のヤツラはみんな マスターキー(傘ボタン)を持っていたから

かなりの数のシェアチャリが稼働していたことになる。

前日に駅に乗り捨てたチャリが、翌日よく 万引きしに 行くスーパーに停まってて

驚いたことがあるよ。

勿論 ポケットパンパンにした後 そのチャリに乗り換えたYO

おそらく マスターキー は今でも 自分のチャリ鍵を無くした時に 使えると思う。

そんなこんなで

高校3年間 バカばっかりしてたけど

チビ太は特別不良でもなく中途半端にイキってるBOY だったんだ。

BEBOP 的に言えば  シャバ臭い野郎 だよ。

中途半端だしバカだから大学なんか行ける訳ないし

就職もしたくなかったから 親に頭下げて

建築設備の専門学校に通う事にしたんだ。

だけどなにせ頭の出来が悪くてさぁ

就職先や将来の事も真剣に考えてなかったから

クラスの中でも最後の辺り、たしか 12月末くらい 

建築設備系の極小零細企業に現場監督として滑り込んだんだ。

 

そんなこんなで 社会人生活 が始まったんだけど

はじめての上司がさぁ

入社した会社の人間ではなくて

チビ太が入社した会社や他社から個人請負で現場監督をやっている

バリバリ稼いでいた フリーの現場監督 だったんだよね。

その時 彼(Sさん)は28歳だったはず。

Sさんはそれなりに稼いでいて当時年収1200万円くらいはあったと思う。

Sさんチビ太の会社の社長から チビ太の教育係をお願いされた みたいでさ。

Sさんも 後輩育てるの初めてでメチャクチャ可愛がってもらったんだ。

そんな感じでチビ太のエキサイティングな社会人生活1年目がスタートしたんだ。

 

仕事と遊び

初めての現場が山を3つ越えたとこの小学校建設現場でさ、

高速で30分くらい走ってから 下道で峠を越えて行く山奥の現場でさ。

1時間半くらいかかるんだよね。

朝早く出発するし帰りの時間も決まってないし

2台で行くのも無駄だしってことで、

ほぼ毎日 Sさんがチビ太の実家に

新車のパジェロ
(当時流行ってた
白シルバーのツートン後期 2.8ディーゼルターボ ショートボディね)

同年代の人はわかるよね~!

で迎えに来てくれてたんだけど

ちなみにパジェロは 毎日峠道でえげつないくらい タイヤを鳴らしながら

走ってたから 4カ月でタイヤ交換になった!ホントの話

入社してから12月まで、毎日 現場に直行直帰で

会社に顔を出すのは月に1回くらいだったんだよね。

零細ボロ会社の新入社員なのにだよ。

社長や社員にも数カ月に1回しか会わない生活が続いていたんだ。

Sさん は 様々な会社の現場も同時にいくつも監督・管理していたから

チビ太も他社の現場に顔出して Sさん の付き合いのある

社長さんや職人さんに挨拶なんかしちゃってさ。

なんか同業種に就職した同級生と違い過ぎてさ

その違いがカッコイイと勘違いしてたんだよね。

厨二病だよ。

まあ 調子のってたよね。

 

当時まだ  バブルの名残 があってさ。

Sさん おねいちゃん と 酒 と 遊び が大好きな人で

午前中で仕事辞めて、昼から友達と 船乗って遊びにいくような人 だったのさ。

チビ太も毎回 平日の昼間っから船遊びに連れてってもらってさぁ

凄く新鮮な体験で 「これが大人の世界かぁ 」

なんて鼻息荒くしてた。

夜は お決まりのキャバクラ三昧 でさぁ

毎日 ゲロ履きながら現場向かってたよ。

現場に着いたら着いたで

具合悪いから 1日中 現場事務所で クロスワードパズル ばっかりしてたら

武藤啓二そっくりな配管屋の職人 にボコボコに殴られたよね。

嘘じゃなくてホントの話なのさ。

まるっきり 武藤啓二 なんだよ!!

 

 

肝心の現場監督の仕事はというと

Sさん 遊びばっかりで全く仕事教えてくれなくてさ・・

チビ太は 現場監督の仕事一切できないんだよね。

監督だから、図面 (製図)描いたりしないとならないんだけど

1枚も描いたことないのさ。

追い打ちをかけるように

入社3か月目の7月には Sさん の命令で

船舶の免許受けさせられたYO !!

 

 

今の2級船舶 当時は小型船舶4級 ってやつで

大きいクルーザーは乗れないけどプレジャーボートとか

釣り船とかは運転できるヤツ。

Sさん にイイとこ見せたくて 船舶試験の勉強ばっかりしてたよね。

その甲斐あって  1発 合格!

遊びの幅が増えましたとさ。

社会人1年目から 金もないくせにキャバクラ遊びや、船遊びを覚えちゃったから

金が いくらあっても 足りないわけよ。

借金しながら遊び狂ったよね。

12月くらいに初めての現場が竣工(完成)して、

やっと会社に数日通うようになったんだ。

入社から8ヶ月経ってたけど、全く仕事ができないから

会社の人たちに白い目で見られて

物凄く居心地が悪かった記憶が残ってる。

そして年末になり長期休暇に入ってゆくんだけど

正月明け そこに チビ太 の姿はなかった とさ。

 

to be continued、、、

チビ太の歴史 ② 借金して遊んでたあの頃 へ続く